Note始めました。
こちらにも転載します。
KHAVUARL(ハヴール)という名前で、音楽活動を続けています。
これは徳之島の方言で「蝶」を意味する言葉──当時、活動を共にしていたメンバーが徳之島出身で、蝶のモチーフが好きだった僕のために提案してくれたものでした。
非常に読み難い綴り「KHAVUARL」は完全な造語で、これも僕が中学生のころ、博識であらゆる言語について詳しい先輩が考案してくれたものです。
今ではそのメンバーや先輩ともまったく交流はありませんが、それでも僕はこの名前を名乗り続けています。
人の関係は、流れや波長が変われば自然と途切れていくものです。
たとえかつてどれほど大切だったとしても、それが運命のひとつのかたちなら、執着せず受け入れる。
KHAVUARLという名前は、そうした変化や再生を象徴するようにも感じています。
蝶という存在と、知らずに結んだ霊的な縁
不思議なことに──いや、もはや「必然」と思わざるを得ないのですが、
後にレイキヒーリングを伝授され、神社仏閣を巡るようになる頃から、僕は何度も蝶に出迎えられるようになりました。
蝶がふいに進行方向へ現れ、どこからともなく視界に入り、あるいは人のいない境内にふわりと現れては静かに舞い去る。
それはただの偶然だったのかもしれません。
けれど、あまりに繰り返されるうちに、それが「何かの合図」や「歓迎のしるし」のように感じられるようになったのです。
蝶は、霊の象徴であるということ
後から知ったのですが、蝶は世界各地で霊的な存在と深く結びついている生き物です。
たとえば──
日本では、お盆や命日に蝶が現れると「故人の魂が会いに来た」と言われています。
神道では、蝶は神様の乗り物、あるいは神の使いとされることもあります。
ギリシャ神話では、「魂」と「蝶」は同じ言葉 “プシュケー(Psyche)” と表現されていました。
ケルトの伝承でも、白い蝶は死者の魂の姿だとされています。
つまり、蝶という存在そのものが、目に見えない世界と現実を結ぶ「橋」のようなものだったのです。
名前が先、でも意味はあとからやってきた
名付けた当時、僕はそんな霊的な背景をまったく知りませんでした。
ただ、蝶の形や色に惹かれ、なんとなく美しいと思った──それだけです。
それが今や、蝶が「導き手」や「サイン」のように感じられ、
KHAVUARLという名前にも、当時とは全く違う重みと意味を感じるようになりました。
音楽も、霊性も、占術も──
すべては「目に見えない領域」との対話であり、
そこに蝶がずっと寄り添っていたのだと思います。
蒼い蝶の神託として
このnoteでは、**「蒼い蝶ノ神託」**として、
神社参拝での不思議な体験、人との符号、
都市伝説めいたテーマ、そして占術を通じた気づきなどを綴っていきます。
蝶が何かを知らせるように、
この文章もまた、誰かの心にそっと羽ばたくきっかけになればと思っています。
次回の記事では、
僕がなぜ占いに懐疑的だったにもかかわらず、それを扱うようになったのか──
「占術と現実」の間にあるものについて、少し深く掘り下げてみたいと思います。(多分)
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